でザイナーらしからぬ

でなりの雑記。ツイッターで済ませたくないこと書くとこ。

(高専生の)若手のキャリアは志を抱いて考えよ

お前誰よ?→5年くらい前に高専を卒業した、ARゲームのデザイナーです

ふと時間があるので普段思うこと、今年強く確認できたことを簡単にブログにまとめます。すごい大げさなタイトルですが、著者は高専でも割と成績低かったので大したことは書いてないです。そしてすべて個人の主義主張です。自分のブログだからいいよねと思って勝手を書きます。

最近、高専生のキャリア・将来のために動いてる人がインターネットで目立つようになっています。 僕の前職のフラー ももちろんそうでしょうし。

ただ僕はこの領域ってすごく難しいなと思ってます。

個人的なもやもや

(これは僕の偏見・主観ですが…)いつも彼らは「スーツ着て就活はダサい※」「海外には新しい世界が待ってる」「ベンチャーで刺激の多い仕事を体感しよう」と。そんなことを言ってるイメージがあります。全てまぁ気持ちはわかります。

※スーツ着て就活はダサくないと僕は思う

しかし、高専生のキャリアにとって「カジュアルな服で就活」「海外に行く」「ベンチャーで仕事する」というのは必ずしも本質をついているわけではないと思います。

例えば学生Aくんが東京のイケイケなベンチャーで1ヶ月インターンをしたとします。その会社での仕事はすごく刺激的で、そのまんまそこへ入社する。

しかし働き始めて一年経ったらどうなるか。人間は慣れます。刺激の多い仕事を選んだはずなのに刺激がなくなるでしょう。そのせいで、モチベーションが『なぜか』下がります。

結果、割と高い確率で「オレの人生でやりたいこと…これだっけ…?」と思うことがあると思います。事実僕はその一員ですし、少なくとも僕はそんな人を何人も知ってます。

本質をついてない?※ ならなぜそんなことをみんな言うの?

※ 必ずしも本質をついてないというわけでもないよ!再三だけど!

しかし僕らは彼らの言う「スーツ〜」だの「ベンチャー〜」だのはすごくいい切り込み方だとも思っています。

もしA君が普通に何も知らず高専で5年を過ごしたら?もしかしたら彼は「仕事は稼ぐためのもの」と割り切り、仕事に刺激を、楽しさを求めること自体をしなかったかもしれません。(かも、の話!必ずしもそうなるとは限らない!)

実際自分も当時の進路相談をした先生のうちのお一人に「大手企業に行っていい給料をもらいながら安定して暮らすんだ、それがいちばんの幸せで、それ以外はありえない」とまで言われましたが、僕は先生のおっしゃった「それ以外」で自分にとっての幸せを勝ち取ってる自覚があります。

僕が言いたいのは、「自分が取れる未知の選択肢を知り、自分がそれをうけてどう気持ちが動くかを知ること」がそもそも価値であると言うことです。

ベンチャーを見るのも、海外を見るのも。究極、高専からの普通の就活ではあまり取り上げられない「スーツ以外で就活する会社」を受けることでさえ、価値があるのです。

そうやってまだ見ない世界を知ることでやる気も上がるし、選択肢も広がる。彼らは「まず」高専生の将来のための一歩目としてそういった選択肢の提示に取り組んでいます。

僕の思う「本質をついた」キャリア形成。キーワードは「選び方」

しかし僕はその、選択肢を与える「だけ」のキャリア補助に、一抹のもやもやを感じているわけです。

多分、最近ネットで目立ってる人達の中でも、ほんとに真摯に彼らの人生と向き合ってる人たちは同じもやもやを抱えてるんじゃないかな。(世の中には残念ながら…略)

キャリア形成とは「自分の取れる選択肢を増やし、細分化し、そこから'選ぶ'もの」。そして僕はこの「選び方」こそ核心なんだと思っています。

スーツを着て就活して大手に行ったイケてるやつら2人の話

僕の友達の高専出身じゃない中学の同級生に、2人ほどすごく僕視点だとイケてる友達がいます。

とにかく成績が良い2人で、ぼくも中学はよく勉強してたので競うこともありました。1人は模試の東大B判定を蹴って神戸大へ。1人は京大へ行き、当時は格の違いを見せつけられたもんです。

しかし成績がいいからイケてるのではありません。

1人は大きな日本の銀行へと就職しました。

彼が僕に言ってくれたのは「僕は国連の国際金融公社といって、発展途上国のプロジェクトにお金を融資してあげられる立場になり、世界中の人が豊かに暮らせる手伝いをしたい」と言ってくれました。

そのために20代を大手銀行で過ごし、国際的なプロジェクトへの参画をすべくTOEIC・英語を毎日朝晩ずっと勉強をして。そして30で転職を目指すのだ、とも。

もう1人は、看護学部へ行き、そこそこ大きな病院で看護師になりました。

どうして看護師に?と聞くと、終末期の患者さんを看たいからと。孤独死する老人も多くなる中で、自分がその人たちの最後を幸せにしたいと。

彼女も彼女で自分の思う領域に関われるよう日々資格を取り、患者さんに向き合っています。

少なくとも僕はこの2人の話を聞いた時、素直にこう生きたいな、と感じました。

彼らの人生はなぜ、こんなにもかっこいいのか。

志があるからです。

フラーのCEO、渋谷さんがある時こんな話をしてくれました。「夢は叶えるもの。志は立てるもの。」

つまり夢には終わり、達成があるのですが、志は常に持つものということだそうです。

具体的には「年収1000万稼ぐ!」みたいなものは夢であり「常に年収が上がるよう成長し続ける!」みたいな終わりのないものが志。夢は「すんごい大きな目標」と言い換えられるでしょう。

彼らの人生には「途上国の人たちも幸せにしてあげたい」「終末期の人を幸せにしたい」と非常に社会的にも意義のある志があるのです。

その志こそが、彼らのキャリア形成において「選び方」になっているのです。

あーはいはい、で、志がないひとはどうするんですかー?

志があればかっこいい。それが社会的だともっとかっこいい。それはもはや当たり前のことです。でも持ててますか?そういうの。

僕は「あぁ、僕は志とかないな、一生誰かの夢を叶える側なのかな、どうなんだろうな?」と悩んでました。実際それが持てたのは就職して3年経ったあとです。

僕は今、 親の死を経て「人と人との縁をつなぎ、その人自身をも元気付ける、一生の思い出を作る」という志を持って、今はARゲームの会社にいます。

それまではそんな志なんて大層なものは持ってなくて。「で、お前は結局何がしたいの?」と飲み会で言われすぎてショックで仕事が数日ろくに出来なかったことさえありました。

志を立てるには、とにかく知ろう!

こればかりは「立てよう!」と思って立ててもしっくりきません。いや、一定はしっくりくると思うけど、僕はなんかもやもやしてました。

しかし行動をしないと一生志なんて持てません。 まずは知りましょう。

もちろん、自分が取れる選択肢…ベンチャーや海外、逆に大手、国内、地元企業や、はたまた芸術家、お笑い芸人…とたくさん埋めていくのもひとつ大事です。なのでとにかく新しいものを知るために挑戦しましょう。(ここが、今の高専生のキャリア応援系の人たちがまずフォーカスしてるところ)

それよりもやってほしいのが「自分の気持ちの動きを知る」ということです。

たとえば、ベンチャーをみてワクワクするのはなぜ?イケてる上司がいるから→自分もこうなれるかもしれない環境だから→自分も彼のように常に最新の技術を試していてなんでも綺麗に実装できる人になりたいから…と、「なぜ?」を繰り返して深掘りしながら知っていくのが大事です。

それは仕事に限りません。山登りが好きならそれはなぜ?親が嫌いならそれはなぜ?とにかく自分の気持ちに常に「なぜ?」を問いかけるのが、自分の気持ちを知る秘訣でしょう。

いちおう僕の場合

僕の場合は「親が死んだ瞬間は涙が出なかったのに、葬式の時に嬉し泣きをしたのはなぜ?」「学祭実行委員が自分なりにたのしかったのはなぜ?」「フラーのデザイナーを見てかっこいいと思ったのはなぜ?」の3つの別々の問いから、自分の今の志を見出しました。

親が死んだ時は…なぜ?→母の棺に花をたむけて、最期の言葉をかけてくれてる人を見たから→彼女は最期の最期まで人の縁に囲まれてたから→母とその人たちの間の、たくさんの思い出たちが温かい縁を遺してくれたから

学祭実行委員が…なぜ?→自分が作ったもので、まわりの一瞬の楽しい時間を作れたから→一瞬の楽しい時間こそが自分の人生でかけがえのない宝だから

フラーのデザイナーを…なぜ?→彼らはデザインの力を広く活用してるから→彼らがデザインの力があらゆる場面で活きるのだと信じてるから→僕もまたそれを信じていて、それを体現したいから

あらゆるものに「なぜ?」を問いかけることで、いずれ自分に必要だった観点が見つかり、いつか志が見えるのだと。そう僕は信じています。

立てるべき志とはなにか

まずは自分にとってこれだと思うものでなくてはなりません。今の自分がしっかりと「これなら僕の人生をかけるにふさわしい」と思えないものでは、結局志がないに等しいとおもいます。

そしてここで出てくるのが「己の志と社会的意義の話」です。たとえば「終末期の人を幸せに」というのは社会的意義が強く、他の人に利益がある志になっています。

ぼくは結論、志と社会的意義は別であるべきだと思っています。たとえば「歴史に名を残す偉業を成し遂げる」と言った志でも良いでしょう。キャリアを考えた時に、歴史に名を残すためにはどうすればいいか、選び方の指針になるでしょう。

しかし別の議論として、「キャリア形成」という言葉は一般に仕事における進路のための言葉として使われます。そして仕事は基本、他者への奉仕をして、対価でお金をもらうもの。

もし自分の志があまりにも社会的意義に欠けていると、仕事を選ぶ上では決定的な指針にならないかもなぁ…とは思います。

余談、夢組と叶え組、そしてキャリア形成

世界は「夢組」と「叶え組」でできている|桜林 直子(サクちゃん)|note

ぼくが好きな考え方の一つにこのようなものがある。ぼくはずーっと夢組の話をしてきているのですが、叶え組がいて初めて世の中成立するなー、と毎日思っている。

もし自分が叶え組になるのなら、半端な覚悟ではなく、相手に共感し、そして自分の力を惜しみなく貸せるだけの覚悟が必要だろうな…と思うので、それはそれですごく勇気のいる決断だとぼくは思う。

堂々と叶え組だという決断が必要であり、それもまた一つの志だなとぼくは思っています。

さいごに : ぼくが高専生のキャリアを手伝うとすれば?

志を立てるためのヒントをたくさん掘り出す人にならなれるなと思います。

きっとまずは、僕の志の話をもっとたくさんしますね。それで示唆を受けてくれるなら話が早い。そしてそのあと相手の人生や価値観のことをずーっと聞きまくる。壁打ちをすることで埋もれてた価値観をしっかり言葉にしてあげることが、「なぜ?」を突き詰めるきっかけになると思うからです。

もし必要なら手伝いますとも。まぁ僕、高専界隈から一回隠居したんで今はそんなに慕ってくれる後輩多くないけどね…笑

締め

Twitterを見てたらもやもやしたので書きました。

僕は、志は2年くらい前に持ち始めたのですが、実際それに向かって走り始めたのが転職した四ヶ月前で。

今年転職してから、圧倒的に人生が変わったなと思っています。それは志の力のおかげです。転職してハッキリと、志の持つ力がわかりました。なので年末だし今年のうちにエモくなっときました!

エモくて読みづらいのですが、誰かがこれを見てハッとしてくれたらいいなって思います。

僕も今抱いてる志をどんどんアップデートしながら、全力で走りたいと思います!やっていき