でザイナーらしからぬ

でなりの雑記。ツイッターで済ませたくないこと書くとこ。

Clubhouseを通じて振り返る僕という人

疲れたのです。なぜか。

Clubhouseからの通知を見るだけで、心が疲れ、ため息が出たりするのです。

自分はClubhouseでみんなが体験したような、新しいコミュニケーションの形にすごく共感していて、良さも実感しました。

普段はあまり話せない知り合い・他人・友人まで、自由に音声でコミュニケーションできたり。

また普段は聞けない、尊敬できる方々同士の会話を聞いて、当人同士はいつもの会話かもしれませんが、僕らにとってはありがたい知見の塊になっているような。そんな場って素敵だなと感じます。

高専生のころ、母から「あなたは社交性あるから大丈夫よ」と言われたその時から、自分がコミュニケーションが苦手ではないとも感じています。むしろ母の言うとおり、人と楽しく話すことは自分の一つの特技だとも感じています。

こう見ると、自分はClubhouseに向いてるんじゃないかとも感じていて、なのでこう、疲れるのが自分の中で不思議なのです。

どうして疲れるんだろう…?

この疲れはいくつかに分解できると自分では思っています。

  • 見知らぬ人・関係値の低い人と会話をする疲れ
  • 自分の頭を、意識の高い話を聞くモードに切り替える疲れ
  • 単純に話が聞きたいときに、会話に招待される可能性がある疲れ
  • 他の人が話していたら空気になってしまうという疲れ

おそらくこの4つが僕の中で疲れる四大要素かなと思っています。

そしてこれらの要素は、僕の性格に起因していると感じています。

見知らぬ人と、「おしゃべりのMP」について

まずは見知らぬ人とのコミュニケーションについて。

自分はたしかに、見知らぬ人とある程度打ち解けるのは得意です。得意ですが、正直かなり気を使うタイプです。

相手の出方を疑い、相手に合わせて発話量や内容を柔軟に変更し、相手の得意な話題を広げ。ときに自分らしいコミュニケーションをして、相手に気を使わせず。そんなフェンシングのようなコミュニケーションをしてしまうタイプです。(うまく出来てるとまでは言ってない)

それ故に、コミュニケーションにおいてなかなか大きい失敗はしないのですが、疲れてしまう性格なのです。

僕は初対面の方とのコミュニケーションを 「MPを消費する行為」 と認識しています。

Clubhouseで話してる時、「友達の友達」とはじめましてするたびに、新たな出会いにワクワクすると同時に、MPを消費することに疲れている自分に毎度気付かされるのです。

意識の高く聞くモード

自分はもちろんデザイナーで、各種イベントにも登壇・参加などを繰り返し行っています。しかし、コロナ以前でさえ、イベントの2日前からは憂鬱になることが多かった。理由はその場に行くときにスイッチをオンにしなければならないためです。

たとえば、デザイナーが集まるイベントへ参加する場合。

人の話を聞く際、普段のように話半分に聞くのではなく、一つでも血肉にしなければなりません。人の話した一言をしっかりと反芻し、必ず自分の経験のようにその人の言葉を活かせるようになりたいと感じている自分にとって、この準備はコストが高いのです。

イベントの場においては、事前にある程度カレンダーが見えていました。

しかしClubhouseでは、突如凄腕の方が話を始めます。事前に数日間の準備期間があるわけではなく、唐突に始まる。

「聞く気持ち」を一日で作りきれない自分 にとって、突如始まるカジュアル意識高い系は胃もたれしてしまうのです。

突然話が始まるの?! こんなに意識の高い場で?!

「聞く気持ち」すらカンタンには準備できない自分にとって、話すのはもちろんより大きな負担となります。

発話が絡むと、前述のMP消費もかなりあります。

相手の欲するコミュニケーションをしたい自分にとって、意識の高い場所というのは自分を演じなければならない場。たとえばUXのことを聞かれようものならば、自分の知っている事例を並べ、自分の意見をいいバランスで入れ、他者の意見を紹介する "意識の高い自分" でなくてはならないのです。

意識高い人と、同じ場で話す自分は 「意識の高い自分」でなくてはならない。

そんな自分への義務感をうまく解決できず、この気持ちは「ただのイチリスナー」の状態の自分にも影響を及ぼします。結果、いつ会話を要求されるのか心の奥底で少しビクビクしながら話を聞くことになるのです。

場を乱さない美徳と、そのたびに重なるストレス。

いろいろ言ってきましたが、自分だって自由自在にたくさん話したい気持ちはとってもあります (じゃなければこんなに気持ちに負担がかかるのにイベントに参加したりしない)。

しかし、Clubhouseは複数人でコミュニケーションする場そのもの、僕は3人以上の会話では 「会話のバトン」 が大事だと強く思っています。つまり一人ずついいタイミングで話し始めて、いいタイミングで話し終わる必要があると感じています。

そしてこの思いはとても僕の中で強く、自分は例えば5人組がある場合、他の4人が2人ずつに分かれて会話していたり、他の4人が団子になって話していたりする場面において、1人そこに混ざって会話に入る意欲がほぼありません(やればできる)。なぜならば、僕が居なくとも彼らはバトン渡しを楽しそうに行っているし、バトンの流れを乱してまで、自分が干渉する意味をあまり感じないからです。

それがもし一人孤立していたら別です。バトンの流れに居ない人を見つけると、バトンの流れの中に入れられるよう自分が一肌脱いで努力する傾向があります。しかし自分がその流れに居ないことはさして気にならない。なぜならいざとなればその流れに入れるからです。またはその流れに自分が入れないコミュニティには関わる必要性を感じていないからです。

しかしこれがClubhouseには反作用となります。

自分から部屋を開いたり、一人で配信している部屋を見つけない限り、孤立解消のコミュニケーションをClubhouse上で行うことはありません。

そうなると複数人で話している環境に混ざる形が多いですが、自分はそこで割り込む必要性を感じず、「わざわざ場を乱す」ことを意識しない限り、わざわざ会話に混ざろうとしません。

「会話のバトンを、みんなが楽しく回し合ってる」のが 気持ちいい。

でも僕だって何かしら人とは話したい。身勝手な自分と、会話のバトンへの完璧主義が喧嘩する結果、どちらかの自分を抑えなければならず疲れてしまうのです。

まとめ

Clubhouse、好きです。

でもこれらの疲れを考えてしまうだけでも、グッとメンタルを削られてしまう自分も居ます。

通知を受け取ってアプリ起動を促されるたび、ため息が出てしまう自分も居ます。

そんな自分と向き合いながら、気が向いたときに気持ちの準備をして、また起動して、みんなの会話を楽しむんだと思います。