でザイナーらしからぬ

でなりの雑記。ツイッターで済ませたくないこと書くとこ。

Kosen Advent Calendar 2014 19th : 高専で変人になりました

当記事はKosen Advent Calendar 2014の19日目の記事です。正直このためだけにブログを作りました。

 

自己紹介はこちらにもございますが、一応さらっと。

 

でなり( @denari01 )です。現在は明石高専の電気情報工学科、5年生です。

 

電気情報工学科に所属する僕ですが、学科で専攻している「プログラミング」以上に高専生活で注力したものがあります。「デザイン」です。

 

高専というのは変な人間の集まる場所、僕のように、学科の内容とは全く別の方向に努力する学生は少なくありません。

今回は、僕が高専に入ってから、今に至るまで、いったいどうしてこうなったのかを書き連ね、「あ、高専ってやっぱ多少変なやついるよな。」っていうのをみなさん再確認してもらいます。

 


 

僕が高専に入ったのは「プログラマーって響き超かっこいいじゃん。おれもパソコンカタカタやりてー」って理由でした。

 

1,2年生の時は、部活はバドミントン部とWeb研を兼部していて、バドミントンをやるか、アマガミをやるか、mixiをするか、HTML/CSSを書く、といった感じの生活を送っていました。いつしか、Web研では会長になっていて、バドミントン部でも、副部長をまかされていた僕は、まぁそれなりに楽しい高専生活を送っていたと思います。

 


 

デザインに出会ったのは二年生の冬でした。

Web研の、僕の上の代の会長が、Adobe Illustratorの使い方について講習をおこなってくれました。

その頃には、大抵のデザインならHTML/CSSで実装できるようになっていた自分は、デザインに興味をもつようになり、会長として、Web研の宣伝チラシなどをデザインするようになりました。

 

最初は本当にセンスゼロでした。いまでも研究室の先輩である、当時Web研の先輩にデザインを見てもらっていましたが、何度も駄目だしされ、その末にボツにされていました。当時の僕のデザイン、今思い出すだけでも「あぁ、センスないなオレ」と思います。今思うと、連日あんなクソデザインにわざわざ意見をくれた先輩には感謝しきれません。

 

センスがなかった、でも僕はデザインがやりたかった。

そこで僕は、高専祭実行委員会に入り、高専祭のWebサイトを作る人になろうと思いました。

というのも、僕のデザインに意見をくれていた先輩が高専祭実行委員で、彼の元でデザインを学びたいとおもい、入りました。そこでも、同じように、クソデザインを上げ、駄目だしされ、ボツになり…を繰り返しました。

 


 

 

高専祭も終わり、僕は、デザインにいっそう力を注ぐようになりました。

その頃から、TwitterFacebookのアイコンを自分でデザインするようになり、バドミントン部やサッカー部、時には小売店なんかのウェブサイトをつくるようになりました。

 

Web研も、いよいよ僕の部活になっていました。僕が好き勝手やって、好き勝手教えました。この頃から、僕のデザインは徐々に今のモノに近づいたかと思います。大した実力ではありませんが、そこそこのモノを作れるようになり始めました。

 

三年生の終わりの春に作った、部活動紹介用のスライドをみて、その一年前につくった、部活紹介用スライドからずいぶん進化したなぁとおもいました。

 

四年生になり、高専祭実行委員二年目、その年の高専祭のロゴを作ると、僕のデザインしたロゴが採用になり、一年前には手の届かなかった世界に、ようやく片足だけ入れたのかと思いました。まだまだ未熟だとは言え評価された実績がでて、達成感があったことを覚えています。

 


 

 

夏になるとインターンシップを行うことになりました。僕は、Webアプリの開発をする企業に興味津々でした。自分が3年間関わり続けたWeb(フロントエンド)、それに近いところにあるWebアプリは、僕にとって魅力的に映りました。この時の僕は、「自分は大学へ行き、情報工学を学び、大卒で就職をして、プログラミングで食っていくのだ」と思っていたため、できるならWebに近い職業につきたい、そうおもっていました。そんな時に見つけたのが高専ベンチャーでした。

 

東京のIT系の企業でインターンシップができる、そうWebサイトには書いてありました。それを見て僕はインターンシップへと応募をし、東京の株式会社ランサーズでの一週間のインターンシップを行うことになりました。

 

株式会社ランサーズは、自他共に認めるベンチャー企業でした。そこには、ベンチャーならではの熱意・真剣さがあり、また、若い企業らしい笑顔に囲まれた企業、といった印象でした。その企業で、僕はプロのデザイナーにデザインについて教わりました。

 

本物のデザイナーは、当時の、デザインを初めてたった一年の僕なんかよりずっと凄かった。今でも尊敬しています。

 

僕はデザイナーさんの教えてくれたデザインの考え方を身につけるために、インターンが終わった後もデザインに注力しました。Facebook/Twitterアイコンだけでなく、フライヤーや、Web、ロゴなど、広くデザインをするようになり、この頃には周囲から「デザイナー」と言われるようになりました。

 


 

そうして、僕は5年生を間近に迎え、進路を考え始めました。

インターンシップで衝撃を受けた自分は、大学へ行かずに早く就職して、社会人として成長していきたいと考えるようになり、進学が多い明石高専電気情報工学科で、あえて就職をすることにしました。

 

就職の試験は大変でした。ベンチャーに入りたかった自分は、学校推薦の企業へは行かず、すべて自由応募で受けました。実際、終わってみれば、実力が足らず4社スベリました。高専ではなかなか無いことで、周囲からは「はやく大きめの企業を学校推薦で受けておけ、楽に、いいところに行ける」と言われましたが、どうしても、あの熱意のある世界に飛び込みたかった自分は、そんな意見に耳を貸さず、結局そういう雰囲気をまとった会社に内定をもらうまでにいたりました。

 

今でもなお、デザインに力を注いでいます。こうして僕は、高専五年間で、専攻とは全く関係のない「デザイン」という分野に打ち込み、電気情報工学科の異端に仲間入りしました。

 


 

 

僕の高専五年間は、結果として。しかし、僕はこれを悪だとは思っていません。

 

興味をもったものに純粋にとりくみ、成果が出ずともなんとか上達のために努力したこの高専生活は、僕を変人にもしたが、「充実していたんじゃないか」といえるものになったと思います。

 

また、僕がデザインに没頭できたのも、それを支えてくれた、ここには書ききれない数多くの人のおかげだと思っています。お世話になりました。これから僕は高専から卒業してしまいますが、高専の中の異端として、高専貢献できればと思っています。